絵が描ける描けない程度の「描ける」は才能ではなく知識と技術

『ブルーピリオド』という漫画がありまして、主人公の男子高校生が絵の面白さに目覚め、日本一の難関 東京藝術大学を受験するというストーリーなのですが、1巻にこんな会話があります。

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「先輩はスゴイっすね。才能あって羨ましいです」

「才能なんかないよ。絵のこと考えてる時間が他の人より多いだけ。

それにね、あのね、褒めてくれるのはうれしいけど、やっぱり絵もやり方とか勉強することがあってね。手放しに才能って言われるとなにもやってないって言われてるみたいでちょっと…」

※『ブルーピリオド』山口つばさ 講談社 1巻より引用

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まだ美術のことを全然知らない主人公が、美術部の先輩とした会話です。先輩のセリフには、もしかすると「純粋に褒めてるんだし、普通に喜んだらよくない?」と思うかもしれません。でもきっと、絵を学んでいる学生や絵を生業にしている人からしたら「わ、わかる!!!!」と共感するセリフだと思います。

一般的な人の言う、絵が描ける〜描けない〜レベルの画力は、「知識」と「技術」を身につければ「描ける」と言えます。つまり、やる気と視力と筆を持つ手があれば割と誰でも勉強して手に入れることができる程度の能力です。

逆に言えば、ほとんどの人は天才じゃないので、「勉強して」今のレベルに到達しています。その努力を一言で「才能があるからできてる」と言われてもちょっと嫌だ…ということです。

例えば、パソコンが得意な人が
「パソコンできていいな〜。やっぱ理系大学出身だから得意なの?才能あって羨ましいわ〜」
と言われて、
「え?これくらいは勉強したら誰でもできると思うよ?使いたいならやってみたら?大丈夫、パソコン教室とかもあるしさ」
くらいの感じで返すのは、分かりますよね。

でも、それが絵となると違うようです。

「絵が描けていいな〜。やっぱ子どもの頃から好きなの?芸術大学とか行ったの?才能あって羨ましいわ〜」
と言われて
「いや、これくらいは練習したら誰にでもできるよ。興味ある?絵画教室とかもあるよ?」
と返すと
「いや(笑)才能無いからいいわ〜(笑)」
となってしまいます。

なぜでしょうか。

主人公の「先輩はスゴイっすね。才能あって羨ましいです」の中には、純粋にすごい!と先輩を褒めている気持ちと、(俺には才能が無いから無理だよな)という気持ちが入っていると思われます。

でも、無理じゃないんです。ちょっと勉強が必要ですが、一般的な「絵が描ける人」には、きっとなれます。

才能は、だいたいの人がありません。

才能は無くても、「ちょっとした自慢」レベルの技術は、手に入れることができます。

だから、もし興味があるなら、あとは一歩を踏み出すだけなんです。

踏み出した一歩で、もし絵の楽しさにハマれたら・・・

ハマった分だけ絵は上達し、人生はより一層豊かになります😎

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